ぼくがいま入ってるシステム構築プロジェクトなんですが、お客さんの資金難で凍結されるかも……って噂が出ています。
これってコロナ不況の影響でしょうか……。
コロナ不況か……。
たしかにこのままいくとリーマンショック以上の世界恐慌になるのでは?という見方もある。
その煽りを受けてしばらくIT予算が削られる時期が続くかもしれないな。
SIer業界にも不況が来てしまうのですか?
急遽、IT投資を絞りはじめた顧客が多くなったのは事実だ。
たとえば製造業のユーザ企業などでは、生産ラインを止めたことで売上が上がらなくなり、運転資金の流出を防がねばならない状況にある。
そういった中にあってはIT投資をする余裕がなくなり、ITプロジェクトを停止する。当然、プロジェクトが凍結となれば人員はリリースしなければならない。
少し前までSIer業界の好況により、募集をかけてもSIer系IT人材がなかなか獲得できない状況にあったが、ここにきて少し捕まりやすくなった印象だ。
そ、それって既にIT業界の人余りが発生してるってことですか?ヤバいじゃないですか……。
まあ、これは私の観測範囲の出来事に過ぎないので、正確な全体像がわかるのはもう少し後になる。
日本経済の全体的な動向を知りたければ景気動向指数(DI)というものがあるので、紹介しておこう。こうした指標の読み方も別の機会に紹介したい。
うむむ……こういう指標を見ても、一般人にはどう行動したらいいかわかりませんね。
SIerに転職や就職を考えている人、あるいは就職してしまって不安な人も居ると思うんですけど、どう判断したら良いでしょうか?
個人的な意見にはなるが、仮に不況になったとしてもSIer業界は大丈夫だ。
あれ、そうなんですか?
多少のダメージは受けることもあるだろうが、それは不況にあっては殆どの業界に言えることで、SIerが殊更ダメージを被るというものではない。
今回はコロナ不況で「SIerはヤバいのか?」をテーマに、不況になってもSIerが大丈夫だと思える根拠を提示していく。
コロナ不況でSIerはヤバいのか?
なにを以て「ヤバい」とするのか
まず、ヤバいヤバいと言いながら、言葉だけが独り歩きして不安になっている人も多い。
しかし、「SIer業界はヤバくなる」と長年言われていながら、なにを以てヤバいと言っているのかが曖昧だ。
言葉が曖昧なままでは、曖昧な議論しかすることが出来ず、したがって言説だけが独り歩きして実態から離れていくのみだ。
えーと、そうするとまず、何をもって「ヤバい」というのかの定義が必要なんですね?
不安の種は人によって様々に異なっており、異なるからこそ「ヤバい」の定義が曖昧になる。
そういった中で狭く定義してもあまり意味がないので、だいたい下記のようなざっくりした範囲を「ヤバい」状況と考えよう。
②システムインテグレーションの案件が少なくなり、リストラにあってしまう
③良い案件は優秀な人同士で取り合いになり、低単価の案件だけで一生を過ごすことになるかもしれない
なるほど、失業したり底辺仕事で一生過ごしたりする羽目になったら、たしかに「ヤバい」ですよね。
そうだな。それでは、それぞれについて考えていこう。
SIerは不況に強い
まず「①所属しているSIer企業が倒産してしまう」という不安についてだが、いままでSIer業界はいくつかの不況を乗り越えてきており、不況に強い業種と言える。
具体的には、バブル崩壊後の平成不況、2000年代初頭のIT不況、リーマンショックなどだ。
SIerは何故、いくつもの不況を乗り越えられたのでしょうか。
SIerの業態が重要な理由の一つになるだろう。
SIerの業態は、主には人を集めてきてプロジェクトにアサインし、システム構築をすることで利益を得るというものだ。
ヘッドカウントビジネスと言われており、一人当たり人月いくらとして取引を行う。
これは重工業などの業界と比べ、設備投資や大規模な工場などを持たなくて済むため、固定費が小さく変動費の割合が大きくなり、損益分岐点が低くなる特徴がある。
固定費・変動費・損益分岐点の関係については、【職場でドヤれる会計知識】損益分岐点で説明してもらいましたね。
このような業態は不況に強い。なぜなら固定費の割合が低いので、不況、つまり操業度が低くなる時は変動費部分にあたる費用を削減していけば良く、操業度の低下幅が大きくなっても損益分岐点を下回らずに経営を継続できる可能性が高い。
一方、固定費の割合が高い業態では損益分岐点の位置が高いので、操業度の低下により損益分岐点を下回る可能性が高くなる。こうなると事業ごと整理せねばならなくなる。
なるほど……。SIer企業としてみた場合は、不況への対応力が高いってことですよね。
そういうことだ。ただし、大手SIer企業は重電部門など固定費のかかる事業を持っていることも多々あり、そちらの業績が悪化することによる影響を受ける場合もある。
東芝の凋落には原子炉事業の不振も大きく関わったと言える。
とはいえ、規模が巨大な分、どこも企業体力はしっかりとあるので、そう簡単には揺らぎもしない。
会社自体は安泰なんですね。
あれ?でも労働者個人の視点で見たら、変動費を削られるっていうことは、職を失うってことなんじゃないでしょうか?
その通りだ。SIerは不況に強い、というのはあくまでSIer企業という視点で見た時の話だ。
SIerは多重下請け構造になっており、複数の企業から技術者を集めて構築案件や保守案件をこなすのだが、この技術者の数的な枠が不況時には狭くなるということだな。
うーん、それだと会社は存続しても、個人としては仕事が無くなってしまいますよね?
「①所属しているSIer企業が倒産してしまう」の不安は小さいにしても、「②システムインテグレーションの案件が少なくなり、リストラにあってしまう」という不安は無くならないです。
その側面についても次項で詳しく考えていこう。
SIerでリストラに会わないためには?
今は決算で黒字の大企業でも、リストラや早期退職者を募集する事例がちらほら見られるようになった。
一生懸命働いてたのに、こんな風に首切りするなんてひどいです!
という風に考える人も多いと思うのだが、そう考えてしまう人は会社との付き合い方を少し見直した方が良い。
「一生懸命尽くしたのに」というまるで異性に対するような入れ込み具合の論調を見ることもあるが、会社は実在の人物ではないので、基本的に意思をもって報いてくれるものではない。
もちろんその愛社精神は素晴らしいし労働のモチベーションにもなっていたろうし、社員を大事にしようという経営陣もいることだろう。
しかし、それは「彼女に振られた」という嘆き以上の意味は持たず、リストラに遭遇しないための自己研鑽や戦略などの次元とは冷徹に分けて考える必要がある。
なんだかそう言われちゃうと身も蓋も無いですよ~……。
会社に尽くすのは大いに結構だが、他人にキャリアを委ねてしまったがために、その他人から裏切られるとキャリアを失ってしまうという話でもある。
どうすれば良いんでしょうか?
会社に依存せずにやっていくという精神を持つことは、これからの時代に必須となる。
また、そうやって依存心を断ち、自分のキャリアを他人(しかも会社という実体のない他人)に委ねないことは、結果的に個々のパフォーマンスを上げることにもつながる。
きょうび、若い人は会社の飲み会を嫌がることが多いと言うが、会社という実体のないものに対する依存心が薄れてきているともとれるので、良い傾向だと思っている。
なるほど……。会社に所属しても、そこを終の棲家にしようと思わない方が良いんですかね。
経済成長が著しい間は、会社に人生を委ねても概ね問題なかったが、現代ではその戦略が有効でなくなってきているということだな。
でも、個人個人で対策するにはどうしたら良いんでしょうか。
このブログでは何度も話していることだが、経営やビジネスについて勉強する、あるいは自分の専門性を深める勉強をするのが、もっとも単純かつ強力な戦略だ。
経営やビジネスについて勉強するなら中小企業診断士資格がバランスよく勉強できて非常におススメだ。
こういった勉強をして知識と実力を付けることで、「私の首を切りたいなら切ればいい、別にどこでもやっていけるから」という確信を持つに至れば、仕事のストレス自体も激減する。
仕事のパフォーマンスが上がれば上司になんやかんや言われることもなくなり、会社に居ながら会社から解放される状態にもなる。
勉強することでストレスも減り、結果的にリストラに合うリスクも減るということですね。
優良案件が減ってしまう可能性は?
3番目の不安はどうでしょう?
「③良い案件は優秀な人同士で取り合いになり、低単価の案件だけで一生を過ごすことになるかもしれない」ということでしたが、優良案件が少なくなって一部の優秀な人だけで独占されてしまうのでは、と思います。
一時的に案件が減ることはあるかもしれないが、これも「一部の優秀な人」に食い込めば良いだけの話だ。
えーと、それだと「優秀な人が上から目線で言ってるだけ」という指摘が来そうですが。
まあ筆者が優秀かどうかはさておき、「一部の優秀な人」という評価の間口は、意外と広いのだという感覚も持ってほしい。
統計によると、社会人の勉強時間は1日たったの6分という実態がある。つまり、1日30分勉強すれば、それだけで平均を5倍も上回る差別化が出来るわけだ。
こんなお得に周囲と差別化できるというのに、やっていない人がとても多い。
仮に毎日一時間の勉強を1年続けたら、もはや社内で追随できる人はごく一部、となるだろう。そうなれば「一部の優秀な人」に食い込める。
うーむ、なるほど……。
そもそもシステムインテグレーションの現場では、案件を回せる優秀な熟練者というのは少なく、多少案件が減ったところでそういった高度人材の需要はほとんど影響がない。
そして優秀な人材であれば低単価で買い叩かれることもなくなるので、リストラなどとは無縁となり、たとえ会社が無くなっても次の仕事はすぐ見つかる。案件獲得に困ることもなくなる。
そうなれば仕事も楽しいものになりそうですね。独立だってできそうです。
そういうことだ。一定期間しっかり勉強する期間を設ければ人生が盤石になるのに、逆に何故それをしないのかということだ。
うーん、やはり面倒だからっていうのもあるんじゃないですかね。
働きながら勉強するのは大変です。
勉強をしない状態が固定化してしまうと、次に優良案件の話が来た場合でも入り込めなかったり、入ってもすぐ契約を切られてしまったりなど、チャンスを掴むことが出来ない。
SIer業界の需要にも波があり、その波に乗ることが出来るかどうかは重要だ。
たとえば、ERPパッケージである「SAP」の直近10年の動向を例に考えてみよう。
ERPとは経営資源計画(Enterprise Resource Planning)の略で、ERPパッケージは企業活動を支える既製品アプリケーションなんですよね。
今から10年前、「SAPの導入は国内大手で一巡した」と言われており、SAP導入の需要はひと段落し細くなると言われていた。
この時、あらゆる企業にSAP ERP6.0というバージョンが導入された。
しかし現在、2027年のSAP ERP6.0保守切れが迫っている。これにより次世代SAPバージョンであるS/4 HANAへの乗り換え需要でSAPエンジニアの取り合いが勃発し、SIerの売り手市場が出来上がった。
タイミング悪く新型コロナウイルスの蔓延が重なり、一時的な需要ダウンとなったが、次期プラットフォームにはいずれにしろ乗り換えをしなければならない。
SIer業界の波というのは、何度も来るということを示しているのですね。
そもそもSIerの仕事が無くなることはない
「サピエンス全史」に学ぶ
さて、ここまでの話を踏まえて、改めて結論として「SIerは大丈夫だ」ということを言いたい。
しかし、話をそこで終わらせる前に、いったん「コロナ不況」という短期的な視点ではなく、もっと超長期的な視点に立って、そもそもIT業界って何だろうかということを考えてみたい。
そして、それを考えることで、IT業界ひいてはSIerにおける需要が無くなることはないということが良く理解できるはずだ。
超長期的な視点を持つことにより、一時的な不況があっても、IT需要は回復していくと考えることが出来る。
なるほど。その超長期的な視点とは、どれくらいのスパンなんですか?
10年とか20年くらいでしょうか。
直近1万年くらいかな?人類史的観点の話だ。
えー。……もしかしてからかってます?
至って真面目だ。IT業界の根源を知るには、人類史を紐解くことが不可欠と言える。
IT業界って比較的新しいものだと思うんですけど、その根源を1万年も遡るのですか?
逆説的だと思うだろう?しかし、IT業界の根源は、フォン・ノイマンがコンピューターを発明したよりも遥か昔からあると考えている。
まあ、別に信じなくても良いので一説だと思って聞いてくれればいい。
それに、一流のビジネスマンになりたければ、目先のハウツーだけではなく、人文学や歴史の知見も持って物事を俯瞰的に見る癖をつけておく必要がある。
たしかに「一流の人は教養も深い」って話もありますが……とりあえず聞きますね。
しばらく前に話題になった「サピエンス全史」という本があるのを知っているだろうか。
内容の面白さと現代の労働観やストレスに通じる興味深い指摘があったことから、ビジネスマンの間でも広く読まれた本だ。
この本の中に「農業革命は史上最大の詐欺だったのだ」と喝破しているくだりがある。
農業革命って何ですか?
人類はかつて狩猟採集生活を行っていたが、小麦や豆を栽培する農耕生活に移行したことを言う。
学者たちは「農業革命は人類にとって大躍進だった」と評価していた。
あ、それならなんとなく知ってます。人類が定住し始めて村落を作ったり、安定した食料供給を獲得したんですよね。
そうイメージしている人も多いが、「サピエンス全史」によるとそれはどうも間違いらしい。
該当部分を引用しよう。
かつて学者たちは、農業革命は人類にとって大躍進だったと宣言していた。(中略)
だが、この物語は夢想に過ぎない。(中略)
農耕民は狩猟採集民よりも一般に困難で、満足度の低い生活を余儀なくされた。狩猟採集民は、もっと刺激的で多様な時間を送り、病気の危険が小さかった。人類は農業革命によって、手に入る食糧の総量をたしかに増やすことはできたが、食料の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。
「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 上下合本版」(河合書房新書)p.128
このくだりは、農業革命により人類が豊かになったというのは錯覚であり、農業革命こそが貧しい労働生活を生み出したということを言っている。
どうして農業革命がそのような労働生活を生み出したのですか?
その答えとして、以下のくだりをさらに引用しよう。
人類は世界の多くの地域で、朝から晩までほとんど小麦の世話ばかりを焼いて過ごすようになっていた。楽なことではなかった。小麦は非常に手がかかった。岩や石を嫌うので、サピエンスは汗水垂らして畑からそれらを取り除いた。小麦は場所や水や養分をほかの植物とと分かち合うのを嫌ったので、人々は焼けつく日差しの下、来る日も来る日も延々と草取りに勤しんだ。
「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 上下合本版」(河合書房新書)p.129
この本によれば狩猟採集民は、1日の3~6時間の採集や3日に一度の狩りで十分に生きていけて、余剰の時間は楽しく過ごしていたという。
それが小麦の栽培を始めたことで、人々は小麦の近くに始終張り付くことになり、来る日も来る日も農耕に明け暮れる生活となったということだ。
これを「小麦が私たちを家畜化した(同書p.130)」と表現しているわけだ。
わざわざ負担を増やして生活苦に陥ってしまったということですか。
ちなみに、わかりやすい漫画をツイッターに載せていた人がいるので、これを見れば十分に要点がわかる。
人類が小麦に騙された日(サピエンス全史より) 1/2 pic.twitter.com/qPNRjWa7PN
— 海行(うみゆき) (@_darger) September 22, 2017
こんな風に、自分たちを豊かにするために始めた農耕が、逆に拘束時間を増やし無限の労働を生み出す装置として機能するようになってしまった、というお話だ。
ところで、これは現代においても同じような事が起きている。さらに引用しよう。
歴史の数少ない鉄則の一つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる、というものがある。(中略)
私たちは過去数十年に、洗濯機、電気掃除機、食器洗い機、電話、携帯電話、コンピューター、電子メールなど、時間を節約して生活にゆとりをもたらしてくれるはずの、無数の機械や手段を発明した。(中略)私は以前の手間と暇をすべて省けたわけだが、前よりもゆとりある生活を送っているだろうか?
残念ながら、違う。(中略)ほとんどの人は月に数通しか手紙を書いたり受け取ったりしなかったし、ただちに返事をしなければならないと感じることは稀だった。ところが今日では、私は毎日何十通のメールを受け取り、相手はみな、迅速な返答を期待している。私たちは時間が節約できると思っていたのに、逆に人生の踏み車を以前の10倍の速さで踏み続ける羽目になり、日々を前より落ち着かず、いらいらした思いで過ごしている。
「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 上下合本版」(河合書房新書)p.140-141
確かに、メールが来たと思ったら、直後にチャット機能で「すぐ返信くれ、すぐ会議だ!」と言ってくる人も、良く見かけますね……。
そういうわけだ。時間を節約するための技術革新が、われわれの生活をどんどん忙しく加速させていっている。
これを踏まえて、IT業界というものを見つめなおしてみよう。
IT革命は農業革命の再来あるいは再奏
システムというのは今や企業にとってなくてはならないものになっている。そして常に刷新していかねば時代に取り残される。
しかし、いったん導入してしまったが最後、システムを維持するには大変な労力が常に要求される。
一見、自動的に動いているように見えて、保守を絶えず行わないとすぐに動かなくなる赤ん坊のようなものだ。
さらに、技術の進化が早い分、専門化と分業化が進み、一つのシステムは複数の技術者が支えなければならない。こうしてまるで農夫が始終張り付いて小麦を世話するように、システムというのは技術者が世話することを常に要求する。
まあ、やれエラーだの、ネットワーク障害だの、サーバダウンだの、保守って結構忙しいですよね。
深夜に起こされたり、早朝から出張ったり……。
そしてそのシステムは、導入から数十年に渡り保守労働を生む。そしてその先にあるのは再びのシステム刷新だ。
農耕がそうであったように、システムもまた無限の労働を生み出す装置ということだな。
うーん、そうなると、SIerの仕事は本質的になくなることはないってことが言いたいわけですね。
そういうことだ。
「サピエンス全史」では、農業革命よりさらにさかのぼり、現代から7万年~3万年前にかけて「認知革命」が起こったことに触れている。
認知革命とは、架空の事物について語る能力を獲得したことを指し、これにより大勢が協力しまとまるための「神話」という架空の物語を、集団で共有できるようになった。
これにより、国家などの大きい単位の集団を形成することが可能となり、他の動物にはない優位性を築いたということらしい。
神話は集団の統治にとって欠かせないものですよね。
高校の社会科で習った気がしますよ。
この架空の事物について認識する能力は、社会形成をする上で非常に強力なものとなる。
現在私たちが自明のものとして扱っている、国家、宗教、法令、制度、貨幣は、集団内で共有されている架空の神話に過ぎない。
あるいは「会社」というものも実体のないもので、「法的虚構」とも呼ばれる。
共通の神話を信じているからこそ、大集団で社会を回せるんですね。
現代社会において、法令や会計基準という虚構を現在世界中で共有できている(IFRSとは、国際会計基準の事)のは、認知革命により虚構を大人数で共有することが出来るようになったからに他ならない。
各企業は法令や基準に則った会計処理を行うITシステムを導入しているが、法令も、会計基準も、そしてそれを処理するプログラムも全ては合意された虚構だ。
認知革命→農業革命→IT革命という系譜を考えるとき、小麦に並んで「ITシステム」が新たに人類を隷属させたと言える。
なるほど……。
さきほど、農業革命がエリート層を生み出したという下りを引用したが、IT革命もまた同じくエリートとそうでないものを生んだ。
現在、IT業界では、目的も知らされずにひたすらログ取りや定型報告をさせられている人々が多数いる。それは、土を耕す意味を知らされないままに土に鍬を入れる小作農夫や牛の姿にも似ている。
不作になれば真っ先に食い扶持を無くすのが、末端の農夫だ。なぜなら彼らは、自分の作業の意義、つまり土地の何平米あたりからどれくらいの作物が取れるか計算したり、どの程度を地主や王侯貴族に治めねばならないかを計画したり、より効率的に作物を算出するにはどうしたら良いかといった技術研鑽をしたり、そうした知識を持たされぬままに一生を小麦に捧げ働いているためだ。
IT業界のエリートと言えば、上流工程の担当者ということでしょうか?
上流=エリートではないが、しかし、上流工程、つまりITコンサルやマネジメントに近くなるほど単価は高くなり、配下の農夫の単価を決める王侯貴族の立場に近くなるのは事実だ。
自分の売価からいくらピンハネされているかを知らないまま働く技術者は多い。そして、ピンハネを拒んで独立したとしても、勉強の術すら知らない技術者は食っていけない。
なんの知識もなく農園から出てしまったようなものだからだ。
フルスタックで出来る人ならともかく、定常作業しかできなければ、また別の農園の農夫になるしかないですからね……。
逆に知識を持っていれば、エリート層に入ることが出来る。それは現代のIT業界において、古代~近代世界の農夫よりもずっと簡単に行うことが出来る。
中世の貧しい農夫が地主や王侯貴族になるのがいかに困難かを考えれば、それは自ずと明らかだ。
IT業界では、多少の勉強は必要となるが、すくなくとも身分制などの社会システムに抗うほどの労力は必要なく、すぐに「一部の優秀な人」に食い込むことができ、優良案件も回してもらうことが出来る。
人類史を踏まえると、IT業界で「勉強すること」の意義が見えてくるっていうことなんですね。
すくなくとも古代~近代世界での一般的な貧しい農夫は、勉強の機会は与えられていなかったし、勉強したとしても一生農夫であったことだろう。学問の存在自体が遠いものだったに違いない。
残念なことに、現代のIT業界においても、中世の農夫と同じく学問を遠いものだと思い込んでいる人は多く、統計によれば社会人の平均勉強時間はたった6分で、全然勉強ができていない。
しかし、学問の自由が人類史上最も保証されているであろう現代において、中世の農夫と同じ振る舞いをすることがいかに愚かしいことかが、人類史を紐解くことで炙り出されるというわけだ。
うーん、ずいぶん歴史を遡りましたが、言っていることは分かりました。
新型コロナウイルスという人類未曽有の危機にあって、人類史を振り返ってみるのも面白いものですね。
そういうわけで、SIer業界への就職転職は全く問題なく、むしろ不況の今だからこそ、現場を学びつつ独自に勉強すれば、再び好況になった時にチャンスを掴む戦略を取れるということだ。ヤバいと恐れずに、自分の職業選択を信じて進んでほしいと思う。
さて、今回は長くなってしまったので、ここまでにしようか。
ありがとうございました。「サピエンス全史」面白そうですね。
読んでみます。