「ストレス量と報酬量の関係」における誤解
多くの人は日々ストレスと闘いながら仕事をしていると思う。
ところで、世の中の労働者たちは多くのストレスに耐えながら、それでもなぜ働き続けるのだろうか。
そりゃ、働かないとお金をお金を貰えないからです。
そして、働く以上、ストレスは付き物ですね。
そうだな、それは多くの労働者に共通する労働観だと思う。
「ストレスがゼロなら報酬もゼロ」であり、「たくさん働くほど報酬が多く出るが、伴ってストレスも増大する」というものだ。
たくさん働けばそれに伴って残業代が出ますけど、長時間労働になるほどストレスも増大しますよね。休む時間や睡眠時間が減りますし、心を癒すための余暇時間なんかも減ってしまいますから。
翻って、より多くの報酬を得ようと、わざと労働時間を長くする人々もいる。「生活残業」なんていう言葉があるが、まさにそれだ。
労働者の大多数は、ストレス量と報酬量の間に相関関係があると思い込んでいる。
図にするとこんな感じだ。
<時給ベースの労働観>
あー、なるほど。大きな収入を得るには、それだけたくさん働かないといけないですよね。
労働時間に対して報酬を得る、つまり「時給」という考え方を前提とすると、このようなモデルで図示されることとなる。これを時給ベースの労働観と呼ばせてもらう。
時給が安かったり、残業代を出さない会社だったら、緑の報酬線の傾きが小さくなりますね。
あと、嫌な上司や客が居たり、職場環境が酷かったりすると、赤いストレス線の傾きが大きくなるってことですよね。
その通りだ。そして、多くの職場では赤いストレス線は緑の報酬線を上回っている。
個々人で体力やメンタルの許容度は異なるので、労働者はどこまでのストレス/報酬のバランスだったら許容できるかを選び、それに合わせた働き方をし、さらに労働者としての立ち位置も決まるということだ。
これはなんとなく実体験として理解できますよ。
例えば「夜遅くまで会社に残っている人が偉い」だとかいう風潮って、このグラフに表された労働観を前提としていますよね。
そうだ。労働量を多くし、伴って増大するストレスに耐えた者が評価される、というのが時給ベースの労働観だな。しかし、この労働観が労働者を不幸にしている根本原因でもある。
この労働観は「多くのストレスを得なければ、多くの収入を得ることが出来ない」という思い込みを生む。しかしこれは大きな間違いだ。
そうなんですか?働けば働くほど、より多くのお金を手にするというのは、理にかなっている気もしますけど。
それはあくまで時給ベースの考え方でしかない。
次の2点をよく考えてみてほしい。
①「時給」とは何か?時間の単位に対してなぜ価値が決められているのか?
②金持ちは疲れた顔をしているか?世の中の高収入を得ている人々は、みな長時間労働でストレスフルで消耗している顔をしているか?
①「時給」とは何か
時給とは自分の時間を切り売りして、時間当たりいくらの価値を付ける、という概念だ。
しかし、考えてみればおかしな話だ。報酬というのは「その人がどれほどの価値を生み出したか」に対して金額がつくべきであって、「その人が何時間働いたか」によって決まるものではない。
なるほど。働いているふりして一日過ごしても、ぶっちゃけ給料って変わらないですよね。少なくとも短期的には。
その通りだ。つまり、時給というのは、「その人なら時間当たりこの程度の価値を生み出すだろう」ということをあらかじめ見積もって算出された金額なわけだ。
時間という単位を使用するのは、定量的に金額を測定するために、あくまで便宜上使用されているに過ぎない。実態としてどれだけの価値を生み出しているかに関わらず、拘束時間に比例して給料が支払われる。
なるほど。時間という単位を使うのは飽くまで測定のための手段に過ぎないわけですね。
そうだ。しかし、本来は手段に過ぎない時間という単位が、あまりにも労働の前提として組み込まれすぎてしまっており、先ほどの図のような時給ベースの労働観が形成される。
なるほど。たとえば、さっき触れた「夜遅くまで会社に残っている人が偉い」という風潮が最たるものですね。本来は便宜上の測定の手段に過ぎないはずの時間が、いつのまにか目的化してしまってますね。
そこに労働観の誤謬が生まれてくる。
より分かりやすくするために、2つ目の論点にも触れよう。
②金持ちは疲れた顔をしているか?
いまはYoutubeなどで顔出しで自分のビジネスや年収を語ってくれる人が増えて、より「見える化」が進んだと言えよう。ところで、ビジネスの成功者たちは、たくさんの収入を得るためにたくさんのストレスに耐え、消耗した顔をしているだろうか。
うーん、みなさん血色のいい顔してますね。
むしろ、あまり稼いでいなさそうな、満員電車の中のおじさんたちの方が消耗した顔をしています。まあ僕もですけど(笑)
そうだな、むしろ金持ちは、より多くのビジネスを発展させようと常に精力的に活動の輪を広げている。自宅と仕事場を往復する以外の余裕がないおじさん達とは真逆だ。
これだけでも「長時間労働し、多くのストレスを得なければ、お金持ちになれない」という労働観の誤謬が浮き彫りになる。
なるほど。お金持ちの人らもたくさん働いているとは思いますが、「長時間労働し、多くのストレスを得なければ、多くの収入を得ることが出来ない」という労働観では、彼らがなぜお金持ちなのかを説明することはできないですよね。
彼らは決して自分の時間を切り売りするような働き方をしていない。
彼らは時間単位の労働ではなく、課題解決のソリューションやナレッジを提供し、それに対する報酬を得ている。提供した時間に対して金額が発生するのではなく、生み出した価値に対して金額が発生しているのだ。
自分の時間を切り売りする働き方というのは、日々あくせく働いている一般的な労働者の働き方であって、お金持ちの人の働き方は違うのですね。
ストレス量と報酬量の本当の関係
さて、「多くのストレスを得なければ、お金持ちになれない」という時給ベースの労働観の誤りは上記に指摘したとおりだが、では本当の労働観とはどのようなものだろうか。
うーん、お金持ちは時間を切り売りしていないということですよね。つまり、さっきの図でいうと、横軸の置き方が違うんじゃないでしょうか。横軸に「労働時間」ではなく別のものを置くのではないかと。
鋭いな!100点だ。では、金持ちは横軸に何を置いているだろうか?
一般的な労働者は「労働時間」を売り物にしていますが、それとは別の物から収入を得るということですよね……。うーん、なんだろう。
正解は、金持ちは「資産」を持っているのだ。一般的な労働者は労働時間から収入を得て、金持ちは資産から収入を得る。
資産ですか?持ちビルとか、土地とか?
しかし、一般人が簡単に持てるものではないので、「金持ちは資産持ち」と言われても、「そうですか」という感想しか出ないと思いますが……。
一等地の土地やビルなどの物質的なモノだけが資産とは限らない。そういうガチの資産家はともかくとして、いまはITの時代だ。「知的資産」を売り物にしている人々も数多く存在する。
なるほど、知的資産ですか。特許とか実用新案権とかですかね?
特許・実用新案権・商標権・著作権なども知的資産であり、「知的財産権」と呼ばれ、法的に保護されているものだ。しかしながら知的資産とはそれだけに限らず、ある分野での課題解決を可能とするナレッジや方法論全般を言う。例えば以下のようなものだ。
・プロジェクトマネジメント経験や知識、システム導入などの戦略提案経験
・組織運営や資金調達、企業運営に係る法などの経営知識
・ブログやSNS、Youtubeなどで収入を得るためのナレッジやSEO対策、アフィリエイトの知識
これらの資産を得て、コンサルティング等を通して活用することにより、資産からの収入を得ることが出来るようになるというわけだ。
知的資産からの収入……。なるほど。。
このことを図示するとこうなる。横軸として知的資産(=ある課題を解決するための知識の量)を置いてみた場合だ。
これは資産ベースの労働観と呼ぼう。
<資産ベースの労働観>
知的資産が多くなるほど収入を多く得ることができ、さらに課題解決のために活用できる資産が増えれば、自ずとストレス量も減る。
そして赤のストレス線と緑の報酬線が交わるところが分水嶺、つまり仕事が楽しいか楽しくないかの境目となる。
なるほど。一般的な労働者は知的資産なんて持ってないですから、ほぼ必ず分水嶺の左側で働いているわけですね!
そして資産を持つ人の顔色が良いのは、常に右側で勝負しているからです。
知的資産を持つ人に対しては、会社や上司は無碍な扱いを決してできない。よく聞く「お前の代わりはいくらでも居るんだ!」が通用しなくなるからだ。結果的にパワハラ被害からも遠ざかり、ストレス要因が大幅に削減される。資産を持つことにより、会社に人生を人質に取られている状態も克服することが出来る。
もちろん資産を持つ人は、資産を持つなりの苦労もあるんだが、資産ベースの労働観を持つ人は、少なくとも一般的な労働者のようなストレスからは解放されている。
たしかに、一般人は知的資産とかは持っていないですね……。そういう勉強もしてないです。
ぼくはプログラミングはできますが、Web系エンジニアのように最新技術を追っているわけではないので、知的資産といえるかというと微妙です。コンサルティングの飯の種にできるわけでもないですし。
金持ちは資産を持ち、貧乏人は資産を持たないという持つ人/持たざる人の関係はいつの世も同じで、それがここでも再演されているに過ぎない。
しかし、資産を持たない一般の労働者も、唯一供出できる資産がある。何だかわかるか?
この文脈でいうと、「時間」ですよね。
正解だ。金持ちか貧乏かに関わらず、時間というのは誰しもにとって一日24時間だ。そして知的資産を持たない人は、時間を切り売りして生きるしかない。したがって横軸に「労働時間」を置いて、時給ベースでいくらという働き方となる。しかしながら、この労働観を前提としたとき、働くほどストレスが積み上がっていく。
「働けど働けど、我が暮らし一向に楽にならず」という言葉がありますが、時間を切り売りしているうちは、決して裕福にはなれないし、ストレスからも解放されないですね。
その通りだ。時間の切り売りでは裕福にはなれない。一日はどうあがいても24時間。売れる時間に上限があり、少しばかり売る時間を増やしても収入増はたかが知れている。それにもかかわらずもし、よりたくさんの時間を売ろうとすると、結果的に心身の健康を崩すことにもなる。
ストレスから解放されるためには、まずは時給ベースの労働観(横軸に労働時間)から脱却して、資産からの収入を生み出す(横軸に知的資産)という労働観に転換するべきだ。
そして、いま自分が「分水嶺の左側で知的資産を持たずに過ごしている状態」ということを知り、分水嶺の右側に行くための行動を起こさなければならない。
分水嶺の右側で過ごすことができれば、楽しくたくさん稼ぐことが出来るということでえすね。
それが真の働き方改革となる。いま、世にいう「働き方改革」とは単に労働時間を減らそうという動きに過ぎず、時給ベースの労働観を前提にしたものだ。これではストレスからの解放される日など来ようはずもない。
資産ベースの労働観で働くことこそが、本当の働き方改革になるわけですね。
しかし、労働観の転換なんてどうやったらいいんでしょう……。知的資産なんて、勉強した人でないと得られないですよね。
そうだな。では、労働観を変え、知的資産を得て、分水嶺の右側に行くために必要なアクションについて話していこう。
労働観を転換するのに必要なアクション
まずは知的資産を蓄える必要がある。
当ブログがおススメするのは資格勉強だ。下記の二つはサラリーマンにとって特に強力な知的資産となるだろう。
・中小企業診断士
「結局資格って取るべきなの?<おススメ資格:中小企業診断士>」の記事でも紹介している通りだが、簿記・会計はビジネスの必要不可欠な考え方が多く詰まっており、中小企業診断士は会計含めて広く学ぶことが出来る。
「今の仕事と簿記は関係ない」……と思ってしまった人は要注意なんでしたよね。
仕事と簿記はあらゆるレイヤーで関連しているので、勉強を始めてみたら思わぬ気付きがあることが多いと。
「今の仕事と簿記は関係ないかも」と思うのは「数学なんて社会に出てから使わねーよ」とか言っている中学生と同レベルなので、まずはそこを認識しよう。煽っているようだが、これは冷徹な現実だ。
日本人は社会人になったら勉強をやめてしまう人が多すぎる。むしろ、就職して仕事を始めてからこそ、必要な勉強をやり直すべきなのだ。勉強をせずに長く勤めてしまうと、それこそ労働観が固着し、今の仕事に簿記は関係ないという考え方に至ってしまう。
そのせいでいつまでも分水嶺の左側に居続けて、労働時間に比例して増大するストレスに苛まれる生活になってしまうのですね。
とにかくまずは勉強すること、自分にない知的資産を蓄えることだ。勉強を始めると世界ががらりと変わり、自分が想像だにしなかった数多くの課題解決アプローチを手にすることが出来る。
よほど簿記に不信感があるのなら、まず興味のある分野からの勉強でもいい。とにかく知的資産を得なければ、今現在の状況から脱することは出来ない。
しかし、忙しくて勉強時間が確保できない事も多いですよね……。
一日に少しずつでもいいので、時間を作ることから始めよう。残業を削る、通勤時間を削る(会社の近くに引っ越す)、飲み会をやめる、娯楽を削る、一定期間自炊の時間をなくし外食や総菜でまかなう、など見直せる部分はあるはずだ。
もしそれも出来ないほどに職場に時間を吸い取られてしまっているようであれば、それは明らかにブラック企業なので、さっさとやめた方がいい。そこに居続けることは損失以外のなにものでもない。
残業は早めに切り上げたいところですが、仕事に割く時間を試験勉強に回していることを職場の人に悟られてしまった場合、人事評価に影響したりしないでしょうか。
そういう心の狭い会社があることも事実だが、そもそも知的資産がない状態で仕事をしていることこそが、あなたのキャリアを傷つける行為だと思った方がいい。
また、知的資産を得ることは、職業選択の幅を広げることでもある。つまらない考えの会社や上司と、いつまでも付き合う必要はなくなる。
誤った労働観は職業選択の幅を狭める
労働者だけでなく、非労働人口(働く前の学生や主婦)にすら、「多くのストレスを得なければ、多くの収入を得ることが出来ない」という時給ベースの労働観が埋め込まれてしまっている。より大きな報酬を得ようとすると、より激務になるという思い込みから、職業選択の幅が狭まる。この発想が転じて、就職活動でも労働時間の少ないホワイト企業(少ない労働時間でも報酬が高いと思われる企業)が専ら好まれることになり、結果的に「どのような価値を生み出すか」ということが軽視された挙句、「就職偏差値」などという概念まで生み出される。
そういえばぼくが就職活動をしていた時は、就活生にとっての良い会社の基準というのは「残業が無いか」とか「福利厚生がしっかりしているか」とかだった気がします。
これも誤った労働観をベースに構築された基準に過ぎないですよね。
多くの就活生は仕事とは何かをまだ知らない。だというのに知らないうちから誤った労働観が刷り込まれている。これにより職業選択を誤る学生が非常に多く居るものと推測される。
4年制大学卒の学生たちにこの労働観が蔓延しているのは問題だ。報酬が本当はどこから生まれるものなのかを考えておらず、時給制アルバイトの延長のようになってしまっている。しかし、総合職ひいては管理職を担うならば、本来はナレッジ(知的資産)を活用して課題解決をすることで報酬を得る労働観を持つ必要がある。
激務なのかどうかだけで判断してしまうと、本当はもっと高年収を狙えるのに、「そこそこ働いてそこそこ稼ぐ」くらいのところに納まってしまう場合もありますよね。
体や心の健康は大事なので、過度な長時間労働を避けるのも必要ですが、それだけで判断してはいけないのですね。
一方、企業側も知的資産に対し正当な報酬を設定する必要がある。知的財産権の尊重はもとより、頭を使って物事を解決し価値を生み出す姿勢を評価することで、日本全体の労働観も自然と変化していくだろうと思う。そうなったら、「上司より先に帰るのは気が引ける」とかいう下らない議論も消滅していくはずだ。
まとめ:時給ベースの労働観→資産ベースの労働観へ
ストレスから脱却するには、まず時給ベースの労働観を転換した上で、知的資産を蓄えていかなければならない。
結局、世に言われる「働き方改革」というのは、誤った労働観に則った代物でしかない。しかし、誤った労働観そのものから脱却しなければ、真の働き方改革は実現されない。
一般的な労働者の時給ベースの労働観から脱却し、資産からの収入を得る資産ベースの労働観に転換をしましょうということですね。
<時給ベースの労働観>
<資産ベースの労働観>
そして知的資産は、物的資産を得るよりも簡単だ。少し時間を作って勉強することと、東京の一等地を手に入れることとでは、前者の方が明らかに簡単だ。
会社に時間を切り売りするのはほどほどにして、知的資産を得るために自分の時間を投入した方がいい。
よくわかりました。時間を切り売りするどころか、ブラック企業に時間を搾取されている人たちも相当数いますから、供出しすぎた時間を取り戻すことが大事ですね。
そうだ、一刻も早く労働観を転換し、ストレスからの脱却を図りたいところだ。
それでは、今回はここまでにしよう。